問12 「一番したい時に出来ない」という辛さ(怪我1)
12「一番したい時に出来ない」という辛さ(怪我1)
平成21年5月30日、私はFM愛媛ラジオに出演させて頂いた。同局に勤務されていらっしゃる倉渕さんの御厚意によるものであった。その番組で「腰椎分離症」について自らの経験を交えながらお話しをさせて頂いた。主に第5腰椎に生じる疲労骨折である。
先日、たまたまそのラジオを聞いてくれていた愛媛大学病理学教室の秘書さんに大学病院でひょっこり出くわし「先生、一番陸上がしたい時に腰痛で出来なくて、それを克服して、今走っているってすごいじゃない!!」と、満面の笑みでそう私に話しかけてくださった。「一番したい時に・・」その言葉が妙に頭に残った。
私は、中学2,3年生時に腰痛に悩まされていた。腰椎分離症であった。鍼灸、接骨院から整形外科まで多数の治療機関を受診した。
陸上競技の800メートルをしていたのであるが、最終年の3年生で腰痛がさらに悪化し、四国大会では最終着で予選敗退の悔しさも味わった。その後、和歌山県で開催された全国大会までの間は、「本当に全国大会で走れるのであろうか・・」と不安の毎日を送っていた。練習しないと勝てないし、練習すると腰痛が酷くなるのである。当然気持ちも焦った。
全国大会の予選の時ですら、鈍い腰痛を自覚したことを今でも覚えている。準決勝まで何とか突破し、いよいよ決勝となった。陸上競技の決勝は合計8人で走る。
「もうどうにでもなれ!」と挑んだが、何故か決勝の時だけは全く腰痛がなく、結果2位に入賞することが出来た。今でも不思議に思っているが、陸上の神様が居るような気がしたものだ。
その後、秋に行われたジュニアオリンピック全国大会(国立競技場)では3000メートルに出場したが、腰痛のために平凡な記録で中学時代の陸上生活が終わった。
この時、私はとにかくこの腰痛と決別したかった。中学3年生の秋からは、高校入試の受験勉強が始まったので部活動は全くなくなった。よって自然と腰痛は軽減していった。
高校進学が決まった後は、私は陸上部に入るか否か悩んでいた。多くの先輩方に勧誘も受けていたが、あの腰痛がまたぶり返すと思うと憂鬱であったのだ。であるから、高校に入学しても初めの2ヶ月程度は陸上部に入部していなかった。しかしインターハイに出たい気持ちには勝てず、結局入学2ヶ月後位に、今治西高陸上部に入部した。
入部後練習を再開するとやはり、腰痛が再発した。そして、おのずと腰痛が軽いうちに練習量を控えるようになったのだ。
すなわち、一番陸上がしたかった高校生の時に、腰痛のためおもいきって陸上が出来なかったのである。結局高校時代は、インターハイ出場を果たしただけで平凡な成績に終わった。
怪我や障害でスポーツが出来ないのは辛いものだ。今現在、自分の怪我に苦しんいる中学生高校生も多いことでしょう。「この痛みはいつ治るのか?」とか、「自分の為に皆に迷惑がかかる・・」とか、「今度の大会までは我慢しよう」なんて自分に言い聞かせている人も多いことでしょう。実際、そのような悩みをもった選手が、整形外科の外来にやってきます。
一方、怪我や障害が全く無い選手は、このような悩みが分からないことが多いものです。身体の細部に痛みを全く抱えていない選手は、当然別の悩みがあるものです。でも、一度自分の身体が痛みの為に思うように動かせないことを想像して欲しい。そのような辛さは、恐らく、健康な貴方が現在持っている悩みよりも大きいかも知れませんよ。

貴方にとって、今が一番スポーツをしたい年齢です。今現在です。なぜなら将来の保証なんて無いからです。「今」が一番そのスポーツを「したい」時期であることを一度自覚して欲しい。私は現在40歳であるが、いろいろな部分で体力が落ちてきていることを自覚します。20歳の頃に自分が持っていた体力を失うをことを自覚して、初めて気がつくと事があります。
痛みが無いときには、「痛みがない当たり前」のありがたさを、えてして理解できないものですからね。